擬宇宙論:48980: 池田龍雄氏への書簡2

思考のどのような成果物自体も「剛体」ではなく、あるレベルにおける物質の量子的なかたまりであるから、形象としての成果物も宇宙レベルでは一瞬の有限性であることに変わりはないし、物質のプロセス(宇宙過程)において、その思考内容が情報としてまとまりがあるとも思われない。最終的には、ブラックホールを通じた位相変移を経て、次のビッグバンにつながるだけのことなのだろう。
思考の構造体は極小に断片化され、宇宙に四散したフラグメントからはそうした情報を統合することさえも不可能に違いない。
そうすると、無数のフラグメントが思考子として宇宙に拡散するということは、思考も成果物もともにエネルギーとして物質と宇宙に関係するということになるのではないか。
先のフロップ転移やブラックホールに関連づけると、思考は思考子を経て量子的な宇宙を生成する場合と、宇宙過程を経た次のビッグバンによって宇宙を生成する場合がある。
つまり、量子に畳み込まれた多次元空間によるフロップ転移あるいはコニフォールド転移(カラビ-ヤウ空間における裂け目から生ずる転移)による空間の生成というプロセスと、「ビッグバン→宇宙生成→ブラックホール→転移」というプロセスである。
(後者はどんな文明も文化も跡形もなく消滅し、宇宙の藻屑になるということを言っているのであり、前者はまず物質生成のエネルギーと関係すること、そこから宇宙の生成につなげている。次元空間において時間と空間のサイズがないというアイデアを仮定すると、この両者は本質的に同一のことかもしれないが)。
このことは、思考を生成する生命系に「意味」をもたせるということではなく、生命系も他の物質と同じように、宇宙プロセス(=物質過程)にあるということである。
だから、問題は、思考によってエネルギー物質としての思考子が生まれるという点にある。
これは、思考子が形象化されたものに移動するということではなく、またそれによって別の思考が次のものを生成するということでもない(それは生命系の存在範囲では起こりうるかもしれないが)。(以前までは、たしかに、思考の移動と再生、展開というようなことを考えていました。本当のところは、このあたりはまだどっちつかずかもしれません。)
何を思考したのかということは、その情報の構造体が適用されうる範囲(時空間的)が存在している限りにおいての問題に過ぎないのだが、ここで問題にしているのは生成されたエネルギーの強さである。適用されうる範囲での価値や意味は時空的にもせいぜい局所的なものと思われる。
エネルギーのかたまりが、次の物質、つまり宇宙を作るのである。