問: しかし、自然科学の方法――例えば数学の方法を他の分野に押し広めれば、結局はその分野の研究を定量化し、更に精密にするのでは。
答: それは、ある特定の方面では勿論、効用がある。けれども、自然科学の方式を抽象化して一般学術の理想的方式としてしまうことこそ、科学主義の欠点があるところである。第二次世界大戦後の、科学技術の目を見張らせるような成就は、人文・社会科学に従事するたくさんの人を精神面に於ける科学主義の虜とした。数学的方法、定量分析は広範に押し広められ、学術論文の中で図表や公式は大量に増加した。(本来)比喩不能の世界も、簡単化されて幾つかの数学記号となってしまった。そして、精神・信仰、道徳・倫理、芸術・詩歌は、数学的方法による証明が出来ないため、科学の殿堂の外側にはじき出されてしまった。
問: しかし、私の見たところ、科学主義にもそのしかるべき合理性があると思うが。例えば、事実を強調するとか客観性を重視するとか……。
答: 客観的事実の描写と分析にのみ集中し、価値については討論を拒絶するのが、科学主義の大きな特徴である。こうして次のような情況が作り出された。事実が即ちすべてで、社会科学者は事実に対して従順主義の態度を取らなければならない、価値の問題について理性的な討論をするという人々の正当な権利は剥奪された……。
問: 科学主義は科学を人類唯一の知識体系・知識基準と見なし、人間の感情、人間の追究、人間の思考は排斥する、というのがおっしゃる意味か。
答: そうだ。何か事に当たると、科学主義は真っ先に「科学的かどうか」と聞く。もし、科学で検証することが出来ないと、それはつまり意義がなくなってしまうのである。その結果は、必然的に人文精神の衰退と生存意義の喪失を導き、「専門家には魂がなく、欲望者には心がない」(マックス・ウェーバーの言葉)という人類精神の貧困をもたらすのである。
問: では、お聞きするが、世界的な範囲で科学主義はどんな境遇にあるのか。
答: 19世紀の西洋では、科学技術の急速な発展と科学的理性の飛躍的な伸張のため、科学文化は人類文化唯一の化身となった。しかし、今世紀に入ると、科学主義の迷妄は破滅し始めた。フッサールからハイデッガーまで(の人々)が、そのことを充分に暴露した。例えばドイツの哲学者フッサールは、現代の科学文明は「絶対理念」の追究を放棄し、本当に内在する人生世界を無視したため、結果としてヨーロッパ文明を深刻な危機に陥らせた、と言っている。これは、現代自然科学の奇形的発展と現代人の物質文明への依存とが導いた必然的結果である。現在、科学哲学の歴史学派、ガダマーの解釈学、フランクフルト学派の批判理論は一体となって、科学主義を批判する大きな潮流を形作っている。現在の世界思想の分野で科学主義が日々没落の情況にあるのとは対照的に、我々の所では科学主義はもてはやされている。