未刊行詩集『空中の書』25: 誘惑

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もちろん偶然適中することはある。それはあくまでも偶然であってそれ以外の何物でもない――。(綿谷雪『術』)

卵の内部を模して造られたホールの中央にルーレットの台があった。その周りに集まる人は数少ないのだが、それでも彼らはひどく熱中している様子だった。楕円形のテーブルそのものは白い大理石でできていたのだが、賭台の三十六までの数字が記された部分にはそれぞれ異なった色の薄い水晶の板が嵌め込まれていた。また、ルーレットの文字盤の仕切りの中も水晶かダイアモンドでできているようだった。テーブルの周縁部には雪花石膏アラベスター でも貼りめぐらしているのか、そこだけ粉を吹いたように見え、ゲームに参加している人たちが真赤な液体の入ったリキュールグラスを置いている。
先ほどの女主人がいつのまに持ってきたのか、きらきら光る空のリキュールグラスを差し出し、耳許で鈴のような声を鳴らして、あのルーレットは一風変っているのです、賭ける場所は三十六までの数字のうちのただ一つだけで、それ以外は認められません、まったく胴元のためにだけあるようなルーレットですのよ、まあ、見ていてごらんなさい、そういうと愛らしい唇を結んで、いたずらな仕種で空のグラスに接吻した。
いわれるままにルーレットを見つめていると、廻転盤がひとりでに廻りはじめ、同時に人々の溜息がホールに谺した。廻転する数字のあたりから、虹のような幾種類もの色彩を持つ光が筋になって宙宇に迸ったのである。光は空中の一点で焦点を結ぶようにも思われたが、紫、金色、赤、緑、薄い青色……とめまぐるしく旋回し、絡み合い、錯綜し、とりとめもない乱舞になっていった。そして賭台の水晶板の数字からも色のついた光の帯が四方八方へと放たれ、もの凄い速度で動き始めると、ホール全体があらゆる色の光の粒子によって翻弄され、洪水に遭遇したかのようである。
もちろんホールの中の紳士淑女のすべてが椅子から立ち上がり、この見事な光景を見つめていた。けれども、心を奪われている様子はありありとしていても、一様に、どこかもの寂しげな雰囲気が漂っていた。