私が考えているのは、あなたがこの議論の内部にあるのではなく、表層を部分に持つ、見えないもののその表層の部分なのではないかということだ。だから、私が問いかけるあなたとは、私の影であるというべきではなく、独立した表層の部分というべきである。
あなたはどのような場合でも、あなた自身である。そうだ。私が問いかけようとしたのは、そのことなのだ。「私はあなたであるか?」「あなたは私であるか?」あなたはすべての場合において、あなた自身の何ものでもないのだから、私はあなたではないし、あなたは私ではない。
このことは次のような問いかけでも同じである。「私にはあなたが見えるのか?」「あなたには私が見えるのか?」私はあらゆる場合においてあなたを見ることはできないし、あなたは私を見ることはできない。
では、私はあなたに問いかけることは可能なのだろうか。また、私はあなたに問いかけずに私としてありつづけることが可能なのだろうか。もっとはっきり述 べるなら、私が私に問いかけるということはありえないし、それは絶対不能なのだから、あなたに問いかけることが不可能なら私は絶対の沈黙を余儀なくされ る、私のあらゆる問いかけが存在しなくなる。
あなたは私にこう答える。「そのように考えることが、すでにあなたが『あなた』と呼ぶ私の一方の考えであり、その私の一方の考えが、あなたの考える一部でもあるはずだ」
「けれども」と、あなたは付け加える。「あなたの私への問いかけは、私になされたものなのか、あるいはあなたが発しえたものなのかは定かでなくなってしまっている。そもそも、そのような問いかけが行われたのかどうかさえ明確ではなくなってしまっている」
たしかに、もうすでに私の中では、そのような問いかけは跡形もなく消失してしまっていた。そして、「あなた」という言葉の証拠すら残されず、私は私の表層を見つめていた。
全面加筆訂正(2011.12.23)