2016年09月12日 23:10
【かけら】
(“Safar e Ghandehar”についての覚書)
――Mohsen Makhmalbaf『カンダハール』
映画自体は、過剰な演出は抑えていて、片足の群集、落下傘の義足など、抽象的に処理して、全体的には坦々としているが、製作側にも当時の状況から事情があるのかもしれない。
ただ、タリバンに支配される民衆という視点だけでは済まないものがあるのを見過ごすわけにはいかない。
アフガン戦争は誰がもたらしたのか。
2016年09月12日 23:20
【かけら】
Super-string Theory, 2005.7, oil, canvas, F100 × 5(651.5 × 162cm)
⇒Works
■2016年09月13日 09:29
【かけら】
(“Welcome To Sarajevo”についての覚書)
――Michael Winterbottom『ウェルカム・トゥ・サラエボ』
サラエボでの内戦、民族対立の激化でセルビア人勢力が暴威を振るっている。
世界のメディアはこぞって、この戦火のニュースを奪い合っている。サラエボに集まる外国人ジャーナリストは軽快な欧米のポピュラー音楽に乗って、危険な戦闘現場の取材を競い合っている。戦争は世界のメディアの商売の見せ所だ。このような目線で、イギリス人ジャーナリストの戦争との関わりがストーリーとして進行していく。
■2016年09月14日 22:51
【かけら】
(“Welcome To Sarajevo”についての覚書)
――Michael Winterbottom『ウェルカム・トゥ・サラエボ』
しかし、立場は一介の記者、メディアに雇われたニュース記者でしかない。そして、そのような世界のメディアは、戦争の残虐さと、被害者の悲しみを、娯楽番組と同じレベルでしか、刺激的なネタとしてしか本当のところは扱っていない。
マイケルは、そのような立場にありながら、一人の少女を「個人的に」救おうとする。このプライベートな救出劇が本作品のメインストーリーである。
■2016年09月16日 07:11
【かけら】
(“Welcome To Sarajevo”についての覚書)
――Michael Winterbottom『ウェルカム・トゥ・サラエボ』
したがって、この内戦の複雑な問題や、とりわけ死者たちと乖離している世界との大きな落差、喪失感を抉るような鋭さで描いているわけではない。むしろ、欺瞞的な、自己弁護的な、個人の営為でしかないという批判は当然のように付きまとう。
何もしないより何か行動したほうがいいという切実さは、本当に正しいのか。幸せに暮らしているイギリス人がそのおこぼれを与えて、納得させてしまうというようにしか見えないのだが。
■2016年09月18日 07:16
【かけら】
この2週間ほど、ひどい不眠症が昂じて、苦悶していた。
不規則な睡眠が原因なのだが、その他いろいろなストレスが影響していたのだろう。
自己コントロールできるたちなのだが、今回は初めて音をあげてしまった。
それで睡眠導入剤を使ってみて数時間の睡眠が成功し、気持ちが軽くなった。
しかし、翌日はまた一睡もできず、次の日にまた眠剤を使用。
軽度の薬を調べて、効果があるうちに生活環境を改善しようと思うのだが。
それにしても、連続する不眠というのはとても苦しいものと痛感した次第。