魔の満月 i – 3(中空でふんぞり返っている邪悪なるものの……)

だがエルドレの貌と躯をもつゆえに最も危険な幻の軍団は 目前に迫ってくると 天地に轟く雷のように一斉に鬨の声を上げる
まさに風前の灯
はたして断乎たる無援の逆襲を敢行すべきなのか
だが手繰り寄せるべき糸口は兵どもの懐にある
エルドレはだしぬけに先頭の騎馬兵の騎っている馬の横腹に飛び込むと その兵士を叩き落とし 手綱を奪い取って馬をまわれ右させ 力いっぱい馬の尻に蹴りを入れて馬群の中に突入する
前進していた騎馬隊の中に動揺と混乱が惹き起こされ 馬と馬とがぶつかり合い いななく馬上から何人もの兵が転がり落ちる
エルドレも馬の横腹から振り落とされ地面を転がってしまう
混乱は最大の母だと呟くと すぐさま手近の馬をつかまえてひらりと騎乗する
それからゆっくりと騎馬隊の殿しんがりの方に潜り込んでゆく
まだ興奮から覚めやらぬ馬が前脚を小刻みに地面に叩きつけるのを眺めながら 何喰わぬ顔を装って隣の兵士に何が起こっているのかを問うてみる
だがエルドレのとっさの思いつきもここまできて完全に覆されてしまうのである
エルドレが声を出すと同時に馬の脚を注目していた両隣の兵士はさっと顔を引き締め 馬体を寄せてエルドレの両腕と手綱を奪い 彼を拉致してしまう
迷うべき何ものもなく見抜いてしまったのだ
すると何の合図もなしに混乱はさあっと引いてしまい エルドレの前に道が開け 最前いたと同じ場所に連れ戻されるのである
呪縛に充ちた六芒星章の南西に位置する地下の帝国
枯槁した生命の綴る幻想の織物に腐爛した酸漿ほおずきが唯一の輝きを与えようとしている
“はじめに聖言ありき”
以前にも以後にも何ものもなく ことばはまず偽りの姿をとって誕生する
不意に訪れる深夜のセールスマンは作り笑いをして 鞄に隠し持っている怪し気な物体に能書を喋らせる
また場末の呑屋で三人の陰険な目つきをした極悪非道の道楽者たちが男色を餌に若造にいいようにからかわれるという一幕ものの喜劇を開陳するのも 装いのことばがその主調音である
不吉な怪物どもの巻き起こす暗い沙塵が迫ってくる中で 風籟に惑わされたにしても 兵士たちの間に一言も交わされていないことにエルドレは気がつかねばならなかったはずだ