魔の満月 ii – 3(天幕を裁断する玲瓏な光が……)

エルドレは背中にひやりとしたものを覚えるとそそくさとこの宝庫を後にして その裏手で絢爛と咲き乱れる広い花園に赴く
大地母神ケレースやサテュロスの祝福を受け 花神フローラの戯れる苑
意を尽くし巧を凝らした未曾有の数の花壇が大自然の統一とともに豪華無類の饗宴を演出している
薔薇やヘリオトロープが甘い香りを漂わせ 石楠花しゃくなげやデージーが桃色の花弁を小刻みに顫わせる
天帝の花といわれる瞿麦なでしこが鳳仙花の中に混じって可憐な頬を覗かせる
ジギタリスや飛燕草に囲まれて乳白の百合が眩い
虹の如きアイリスの花びらが宙を舞う
その下を葡萄酒やミルクを湛えた清澄な細流が横たわり 月桂樹や橄欖の枝を洗って飛沫をあげる
孔雀が舞い降り 沐浴する清楚な白鳥と黄金の林檎を競い合う
季節外れの南天の実が浮かぶ
瑪瑙や角礫石などの素晴しい光をもつ小さなフィーレや置石が小川沿いに点々と並ぶ
黄色い蜂蜜を滴らせる樫や白い粉を吹いた扁桃の木蔭に泉が湧き その周りを囲んだ半円形のエクセドラもある
粗面岩で舗装された遊歩道の彎曲するあたりに 白赤緑黄の化粧煉瓦でできた尖塔が聳える
煙立つ湯と涼しい水の流れも清いと謳われたアルティスはミルトの叢林の向こうに拡がる
“聖なるアルカディア人の純正なる者”の奉納した神像を入口に備えたデルフォイや またフィディアスの破風彫像をもつオリンピアにも匹敵する神域
エルドレはその広袤とした景観を一望しながら 灰青色でところどころに錆色がかった断崖の方に向う
すでに庭園は尽き 左手に望める入江に白い帆を萎れさせた船が碇泊している
平坦な道をさらに進むと 右手の方に二万数千平方の丘が隆起している
エルドレは丘の斜面に不思議な形をした宮殿を認める
それは四つの大きな建物が屋根続きに相接し 増改築を含めて 時代の異なる幾つもの建物が重層しているかのごとき外観を呈している