連載【第046回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: far away 2

 far away 2
――問題は意識であるのかもしれない。
 私は、肉体と身体に対して、意識が自立的な存在かどうかに疑問を抱いている。なぜなら、意識も肉体がなければ存在できないからだ。意識も脳神経機構がなければ現れることは不可能だ。だとすれば、結局は肉体と身体に属しているものなのではないか。 続きを読む

連載【第045回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: far away

 far away 1
 たしかに生命は自己複製、自己増殖が可能な有機的生物を対象にしたもののように見える。そして、有機的な生物は脳神経系統を基軸に、化学反応による電磁気の信号によって情報交換がなされている。また、細胞間、遺伝子間で未知の通信がなされているかもしれない。それらの情報は、生理、感情、感覚、知覚などに分類され、脳内レベルで意識として統合されているのだろうか。 続きを読む

連載【第043回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: struggles 2

 struggles 2
 しかし、なぜ、彼らはこの惑星を超えることができないのだろう。あるいは超える能力に欠けているのだろうか。それが生物というものの限界構造なのかもしれない。外宇宙に飛び出せば、超高温と超低温のケルビンの熱温度の世界にさらされるだろうし、平坦かつ永遠に存在する時間と空間の、普遍的であることによって何もないというような場所に生物が棲息なぞできるはずがないからだ。 続きを読む

連載【第041回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: life genes 3

 life genes 3
 昂揚し、陶酔しきった癌細胞。それにしても、いっさいの生命が装置として存在するとは……。身体という機構の内部にあるものを見よ。たしかに、肉体の細胞はその独自性と身体システム機構とに軋轢がある。細胞の個々の意識も身体システムと対峙している。しかし、ある塊となり部位を形成したとき、身体システムに圧倒的に支配されるに違いないのだ。だが、本当にそれだけか。 続きを読む

連載【第040回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: life genes 2

 life genes 2
 癌細胞はさらに続ける。

――自分は負のベクトルとされているが、それはあくまで生体の側からの見方なのではないか。〈がんという生体〉の側からは、生命活動というDNAシステムの構築性を否定し、宿主を無に帰するばかりか、自らをもって死の淵へダイビングする〈反生命活動〉という〈正方向性〉を有している。それならば。
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連載【第038回】: 散文詩による小説: Dance Obscura: sleepless forest 4

 sleepless forest 4
 サディ現象「サイズの大きくなったマクロ的世界では空間認識、時間認識の巨大な組み合わせを抽象化することで、風変わりな作品行為として実在するのだろうか。しかし、素材それぞれの場所からはその大きさの世界の把握は不可能で、作品といわれるものの存在も無意味であり、実在してはいない。実在は経済だからだ」
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