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そもそもベルの鳴り方からして妙だった。低い微かな音でありながら、目覚時計のように鋭く細い連続音なのである。
大きな油虫が素晴しい速度で、濃緑の絨緞の対角線上を疾ってゆく。六畳の居室は机の上のライトを点けたきりなので薄暗く、エナメルのような硬い光を燦かせた虫が闇の中に残像を見せたまま吸われてゆくと、もう見つけることはできない。
背筋に冷えた空気が貼りつくような気味悪さを覚えながら、幾度かの呼び出し音の後、受話器を取り上げてみた。
優雅なアルトが、夜更の電話の非礼を丁重に詫びながら、ある集まりに招待する旨即刻来場を乞うと告げた。
奇妙な性癖を持つ友人の名が二、三挙げられていたようだが、ぼんやりと油虫の消えた辺りに眼を凝らしながら不吉な予感に捉われていた。心配することはない、決して怪しい集まりではないと、電話の主が言っているかのような錯覚も覚えたが、不吉な想いは癒えなかった。というより、なおも昂進したのである。
女の声が魂を揺する性質のものであったことも一因なのだが、なによりも電話という器械を介したはずの声が器械の匂いをいささかも感じさせぬばかりか、頭脳を痳痺させてしまうような、地の底かなにやらの別世界から唐突に躍り込んできたかのような気配を漲らせていたからである。
その蠱惑的な声に酔いながら、集まりの場所が伝えられるまで、女の喋るにまかせていた。饒舌というよりも、軟質の声音で滑るようにゆっくりと語られていた。最後に目的地の住居表示が告げられる頃には、すっかりその女の声の魔力に犯されていた。行先の場所が所蔵の地図に載っていないのはすぐわかったが、なになんとか行けるだろうと考え、その招きに丁重に礼を返し、応ずることを附け加えると、体を羽毛で愛撫されるかのような妙に艶かしい笑い声を耳に残したまま電話は切れた。驚いたことに、最後の一言を除くと、電話の廻路を独占していたのは女の声ばかりであった。
魂に得体の知れないものが注がれたように、長い余韻が闇の中に滞っていた。