その日の夜、趙紫陽とゴルバチョフは総書記会見を行った。趙紫陽はゴルバチョフに会うなり、「一九七八年以来、鄧小平氏は国内外及びわが党公認の指導者である」と言った。改革派総書記二人がこんなふうに「公認の党の指導者」を公言したことは実に驚くべきことであり、気持ちよいことではない。しかし、「グラスノスチ」を主張するゴルバチョフに初めて「中国共産党第十三期第一回全体会議」の「重大なる決議」を公開し、「重大問題に際してはあいかわらず鄧小平同志の舵取りを必要とし、十三期大会以来、重大問題の処理に当たってはいつも鄧小平同志に報告し、教えを乞うてきた」と話した。人々は趙紫陽のこのような勇気に脱帽せざるを得ない。趙紫陽のように人民大衆に公開性(グラスノスチ)を実行することは中国のような体制の国においてはよほどの勇気がなければできるものではない。
趙紫陽とゴルバチョフとの談話が終わってから、鄧小平は薄一波、李先念、楊尚昆、王震、彭真といった老人たちに来てもらい、学生運動について「四・二六」社説の論調から後退すべきかどうかを相談した。そして、電話で陳雲とも話し合った。老人たちは一致して後退してはいけないと言った。一歩でも下がれば、下がっただけ学生は進む。学生たちの究極の目的は共産党を覆し、「四項目の基本原則」を覆すことにあると彼らは言った。