趙紫陽はそれ以上に自分の意見を堅持しなくなった。学生を見舞いに行きたいと言った。その時はもう十八日の午前零時はまわったところである。趙紫陽と常務委員は手分けして病院で応急手当を受けているハンガーストライキの学生たちを見舞いに行った。
十八日の午前中、政治局常務委員会がひきつづき行われた。常務委員は軍事管制をどうやって実施するか、さらに軍隊の入城などを検討していた。
趙紫陽は辞職を願い出た。理由としては「体の具合が悪く、常務委員会の決議を実行することができないし、これからの仕事のとりかかりようがない」からである。そして、辞表を取り出して、鄧小平へ届けてくださいと楊尚昆に頼んだが、楊尚昆に断られた。「敵が目前に迫ってきているから、党中央の一致団結を十分に固めなければ乗り切れないよ。君の手紙なんか、ことづからないよ」と言った。
李鵬は「あなたのいまの辞職も党中央を分裂させることになるぞ」と言った。
趙紫陽は辞表をおさめた。学生を見舞いに行きたいと言った。李鵬が趙紫陽と一緒に行くようにと、常務委員会が決定した。
学生と会ったとき、李鵬は学生代表に対して、顔つきも声もともに厳しく「党と政府は君たち学生が動乱をするなどとは一度も言ったことはない」と言ったが、北京大学の王丹と単独に会ったときに「悪い結果をもたらしたという責任を君とウルカイシに押しつけるつもりはないが、客観的にはもうすでにそうなっている。全国の情勢はとても混乱している。事実上、文化大革命より重い動乱となっている」と言った。そして、マスコミがあまり良い役割を果たさなかったとも言った。