[資料] アピール! 天安門事件: 05(中国人活動家・著)[了]

アピール! 天安門事件: 05[了]

●Date : 12:35am 12/31/89 From : pcs00372 (直江屋緑字斎)

中南海上層部争いの真相――戒厳にいたるまでの激闘

 8 鄧小平曰く「わしの言ったことは間違っておらん」
 五月十日、楊尚昆は鄧小平ににイランのハメナイ大統領が鄧小平に会いたいとのことを報告したが、北戴河にいる鄧小平は「わしは気分がすっきりしないからと伝えなさい。どういうことか、彼らの想像にまかせる」と言った。
 しかし、ハメナイ大統領はどうしても会いたい、会わない限りは帰国もしないし、李鵬との会見も断ると言って譲らない。仕方なく、鄧小平は北戴河から北京に戻ってきた。十二日、各新聞に鄧小平とハメナイ・イラン大統領が会見したニュースが報道されたが、その中の「和を貴しとす」という言葉だけは人々を議論の渦中に引き込んだ。前の晩のテレビのニュースから翌日の新聞までずっとその本当の意味が汲みとれずにいた。しかし、いくらどう分析しても、報道された鄧小平のあの言葉は国際関係に限っての議論だけである。
 なお進行中の学生運動に対して、鄧小平はあいかわらず「四・二六」社説の立場を固持し、曰く「わしの言ったことは間違っておらん」と。

●Date : 12:37am 12/31/89 From : pcs00372 (直江屋緑字斎)

中南海上層部争いの真相――戒厳にいたるまでの激闘

 9 趙紫陽は党の機密を公開してしまった
 五月十三日、、千余名の大学生は天安門広場に入り、ハンストに突入した。条件は二つしかない。
 一、「四・二六」社説を否定すること。
 二、学生運動が愛国的民主運動であると認め、トップの指導者と対話をすること。
 である。
 その日、趙紫陽は首都の労働者たちと懇談会をもち、党と政府が学生と労働者の要求について早急に研究し解決したいが、中ソトップレベルの会談を妨げないよう公民に望むという態度を表明した。
 その日の夜、閻明復は一部の学生と教師を懇談会に招いたが、学生の指導者の一人、王丹は閻明復は好々爺だと言った。
 十四日の深夜二時、李鉄映、李錫銘、陳希同らはハンドマイクを持って天安門広場に入り、学生たちに学校に帰るよう呼びかけたが、学生たちのやじによって追い出されてしまった。