自由とは何か[005]

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 それは、ある青みを帯びた灰色の夕刻。その灰色の濃霧の向こうに薄黄色の光芒が垣間見えるが、こちらの側は絶望の濃紺の帳に蔽われているだけだ。さらに時間はくつがえり、かすかな光も忘れ去られていくに違いない。
 私の底部の秘められた闇、稲光がたえず閃くように、抑えきれない衝動的な葛藤がつらぬく暗黒。そのような憤りを生み出すのが何によるかを知るものが、いったいどこにいるというのだろう。

 最初から存在する物質を想像することは不可能だ。そんなものはありえようがないからだ。けれども、生命の底部、その発生の向こうにあるものを知ることもないといえるのか。数億年の皮質の蓄積を経て、皮膜の底に沈澱したものは甦ることはないのだろうか。傷ついた中枢神経はすでに恢復は不可能だということなのか。あらゆる歴史は殺戮の連鎖に違いないとはいえ、いまだ拭い去ることのできない衝動が忘却という形で記憶されている。思い出すこともなく、忘れ去られることもなく、古い皮質は傷つけられたまま。
 知りえぬということの罪障、根深い疑い、想起するにいたらないための焦燥。つまり、古いもの、気の遠くなるような底部に、そもそもから用意されているはずの空虚というイメージに起因しているもの。だが、たしかに私自身がその意味するところの真実とその正体を知ることは不可能なのである。

 私が傷つけるはずのもの、私を傷つけるはずのもの、それらは私に対して何をもたらすものなのか、またそれゆえに私をどのように扱おうというのだろう。私はそれらの鋭い侵襲によってほんとうに傷つけられているのか、ほんとうに何ものかを傷つけているのか。
 それははたして、私の部位を、それぞれの精神を、無数にある意識自体を、さらにもっと古くからある傷を重ねて、それは醜い瘢痕となり、それぞれの表層に複雑な皺となって残される。もう、元には戻らない、戻ることはありえないのだ、と。
 そのとき私はめくるめくような暗い情熱に衝き動かされて、私の外部に牙を、矛先を向けざるをえなくなるのだ。それは、決して内部に振り下ろされる斧ではなく、外に向けられるべき一撃。振り下ろされつづける打撃。だが、暗く熱を帯びた暴力が突出するのは、その一瞬だけである。その後は冷酷な暴力の残渣が機構として無際限に繰り返されていく。深傷を負うのは私の表層であるが、すでに亀裂、破砕は全体へ及びはじめてしまっている。