自由とは何か[011]

 どれほどの長い時間が経過していたのだろう。ほんとうはわずか寸秒のことだったのかもしれない。浮游する顔は初めから色彩を失っていたが、首だけになると、褪色した薄い皮膚はみるみる涸び、ついにはかさかさになって剥落していくのである。鼻梁や耳朶もその形を崩し、軟骨がこぼれ落ちる砂のようにさらさら音をたてて空中に四散していく。ただひとつその姿をとどめているのは、剥き出しになった裸の眼球である。網目状の毛細血管に絡みつかれ、燠火や鬼火を思わせる血の塊となって膨んでは萎む眼球が、闇の中で妖しく炯っていた。

 なんというおぞましい事態。死そのものの無機性である頭蓋骨の中央で、不吉な生を暗示する怪異な二つの眼球の蠢き。それは、睡眠時の瞼の下で活溌に跳ね廻る眼球運動の、見ることへの異様な執着!
 髑髏は空中の一箇所にとどまることをせず、後方に退いてはまた目前にまで迫り、まるで球面を無軌道に滑りつづけるようにしてこちらを威圧し、執拗に、見ろ、よく見るのだ、と繰り返している。そのうちに、骨の廻転体に象嵌されている眼球の、青灰色の中心近傍も、どんより濁った暗灰色に変じ、血脈によって隈取られていた暗褐色の外縁部も、涸いた黒い色へと色調を落としていった。それからしだいに眼窩の闇へと沈んでゆき、そのあたりは落ち窪んだ翳りだけがつづく深い洞窟を思わせた。
 形骸と化した髑髏はなおも飛び廻り、幾度となく目の前に迫ってきては、純白に光る歯ばかり並ぶ口蓋を噛み合わせ、まるで喉笛に喰らいつこうとでもしているように見える。闇に浮かぶ白い髑髏、それは己れの躯を捜し求めているかのようだった。

 ――おれは頭蓋骨だけで生き永らえているのだ。おれの輪廻転生はこの頭蓋骨に凝結し、おれの呪いも、おれの残虐無比も、ここにきわまっているのだ。

 髑髏は宙宇の一点に静止して、闇の根源である暗黒点のように、そこだけ無限の深い暗がりをつくり、暗箱の中にしかありえない絶対黒色の描線で、頭蓋骨の全ての稜線を描き出していた。

 ――わが裔よ。数億年を古りたわが血のうから よ。おれたちは頭蓋骨だけで生きている。おれたちの永劫の魂はこの骨の中に封じられて、決してどこにも去ることはないのだ。おれたちの肉が滅びようと、おれたちは地を充たす地の塩となって、死ぬことはない。時がおれたちの味方だ。世界の滅びも、おれたちには無縁だ。
 おれたちは純粋に本来的であって、冒されるべきものではない。なぜなら、わが眷属は人類の唯一の始源だからだ。おれたちにはすべてが許される。わが眷属は神なるものさえ凌駕するうから だからだ。