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(幽霊についての挿話)
その形象が訪れたのはそのときだった。音もなく開く扉。爛々と光る眼球の気配。薄汚れた長い布を肩からすっぽりまとった何ものかが暗い空間に漂っている。
おれの末裔、おれの分身、一族の者よ、幽霊は語った。いや、語ったわけではない。そのようなことばの渦を闇の中に注ぎ込んだのだ。
――生を享けて以来、おれは悪逆の念としてこの世界を呪い続けていた。おれは特別な悪人だ。だが、どうしようもなく純粋な血を持った者だともいえる。おまえたちの母親はみな自ら進んで、このおれに抱かれたのだから。
そのことばを呑み込むことは困難だが、なにかしらぼんやりと寛いでいて、なつかしい匂いを嗅いでいるような気がする。しかし、幽霊は物質として存在していた。夢魔や妄想の類とは思われなかった。手を伸ばせば確かに触れることのできる、ものそのものの性質にあふれていた。長い髪の毛や顎を蔽った髭、全身を包んでいる布が、窓から侵入する夜風に煽られ揺れている。けれども、その質感、その波打つ動きは金属的な硬直性を持ち、機械的な顫動を思わせた。だからなおのこと、幽霊の表情や仕種はこの世のものとは思われぬ脆弱な印象を与えていた。自働人形のぜんまいが跡切れようとして、最後の瘧にうちふるえる瞬間のごとく――。
その繊細さは、いつでも存在を何か別のものに転換できる性質の現われでもあった。肉体そのものよりも、それ以外の部分に濃厚に感じられる存在感――。表情や仕種の妖異さ、独特の雰囲気は、おそらくそのような部分から発しているのだろう。見つめつづけると、あまりに酷薄な冷気が伝わってくる。それはまさしく空間の虚無だった。身も心も凍結させる空虚であった。
――おれが何ものなのか、おれの本体が何であるか、おまえは見なければならない。おれはありきたりの蒙昧な亡霊どもとは異なるのだ。いいか、よく見ろ。おれの衣の下を見ろ。
闇に鎖されている部屋の中で、幽霊を中心に、夜より暗い、真っ黒な渦が巻いている。いたるところで微細なまでに振動する空気の、その全ての粒子が、全身の肉襞に鋭利な歯牙となって喰い込み、噛みついてくる。幽霊は振り払うような素早さで薄汚れた布を放ち、その大きな布は嵐の海面を漂うように宙を舞った。布の向こうに捉ええたのは、凄絶な青味さえ帯びた、どこまでも貫いて透き通る空間だった。何ものもない荒涼とした空虚、無そのものの上に、首だけが浮かんでいた。そして、空洞に固着した首が奇怪な表情のまま硬ばって、こちらを睨めつけている。