だが、これだけなら「表現的な『所産』も」〈芸〉も無意味に過ぎないものであるが、ただ、ここで「ごく抽象的に支えられて、その『現実性』を保証されるにほかならない。」という記述が重要である。というのは、オブラートを「ごく抽象的に支え」るものとして展開するからである。ここでは、「作品言語」の自己運動の形態的現実をも含めて「ごく抽象的に支え」るとしている。これは次のような誤解として記述される。
「つまり、表現者がつき出してみせる表現ではなく、うけとるものの側が要請する表現が厳然として存在するということ、そして、私たちの表現的な伝統のうえでは、こちらの側にこそ、成熟の条件があるということである。そういうところではいってみれば《芸》としての情念―情念そのものでもそれとことばとの本質的な拮抗でもなく―が要請される。」(同)
これは「表現者」幻想の上にたった単純な錯誤である。それは、「ごく抽象的に支え」るものが、「表現者」の個的な事情にはないから、あちらの事情に(「うけとるもの」という二元的な発想しかないために)下駄をあずけるというわけである。もっとも、「情念そのもの」とは何を示すのか、「それとことばとの本質的な拮抗」のどこが本質的(あるいは何のための本質)かは問わないとしても、もとより、そんなものは闇の中を綱渡る「作品言語」ののっぴきならぬ旅程には邪魔になっても益にはならないのである。
本来このようなものである、岡庭の誕生させる〈芸〉による批評は、それこそ「表現的な伝統」のうえでは、成熟の条件があろうというものである。だいたいにして、「表現者」の思い入れを詩に託す「表現の伝統」をこそいいかげんにたたんでしまう必要がある。
〈芸〉が伝統として結びつく根拠は次の様に論述されている。
「表現が創作過程においてうみ出す動態としてではなく、感受の構造の側が規定し要請する作品とは、いいかえるなら転倒したまま自然性のようにうけとられているこのような詩的規範の外化にほかならない。そこでは表現者は、こういうものにのっとっておけば、かたちとしての『詩』は完全にある成功を保証されうるという、情念の先験的な象徴性にすがっているのである。このようなものとしての情念は、直接的に表現自体の生身の情念でも、それとことばとが拮抗するたたかいでも、あってはならないので、『かたち』としてひきうつされたものでなければならない。」(同)