何東昌の発言に対して、北京大学では「鄧小平は中央委員会と一致していない」という大字報が貼り出された。
五月八日、政治局拡大会議の準備会議が開かれ、北京市党委員会は書類文例を七種類も用意し提供した。なかの一つは「四・二六」社説の精神を堅持し、趙紫陽の「五・四」演説を逐一批判したものである。
五月十日、中国共産党中央委員会政治局の拡大会議は正式に開かれた。一日だけであったが、騒ぎのある市、省の長も参加した。その日、長安街にある公安部の前に「安定と団結は四つの近代化を実現させる基本的な保障である」という大きい立て看板が現れた。
会議の席上、趙紫陽は次の五項目を提案した。
一、「四・二六」社説を否定すること。
二、社説を発表したその責任を趙紫陽自身が負うこと。
三、人民代表大会に(自分の息子二人を含む)高級幹部の子弟の役人ブローカー行為を取り調べる委員会を設置すること。
四、全国副部長級以上の幹部の行動とその背景を公開すること。
五、高級幹部の収入と福祉を公開し、特権を取り消すこと。
である。しかし、拡大会議では、趙紫陽の五項目を人民代表大会にかけて、討論してもよろしいと言ったが、李鵬は「召集してはいけない」と言って反対した。
十日の午後、仕方なく、万里は委員長会議を召集した。副委員長たちは次回の全体会議の内容として次の項目を一致して通過させた。
一、会社の整理整頓の情況を報告すること。
二、学生のデモ集会と授業ボイコット問題についての報告をすること。
三、集会デモ法(草案)を審議すること。
四、新聞法についての進展情況を聴取すること。
五、県、郷級人民代表大会代表選挙の期日について審議し決定すること。
である。
そして、開会日を六月二十日とも決定した。
十一日の「人民日報」一面トップは、ハンガリー訪中団と会見した際に趙紫陽の話した内容を報道した。「政治体制改革はしっかりした足どりでやらなければならないが、その中心は民主と法制の確立である」という内容であった。
十二日の「人民日報」はまたトップで、来月に人民代表大会常務委員会会議が開催される予定であることを報道した。
十三日、万里はアメリカ、カナダ歴訪の旅に立った。「人民日報」トップで報道された人民代表大会常務委員会第八回議事内容の項目は大衆からとても気に入られた。万里の努力はそれなりの意義はあるが、趙紫陽の五項目のような力までには及ばない。