【登録 2003/10/10】  
紙田治一 遺稿[ 八路軍の軍医時代 智恵子との出逢い ]


智恵子との出逢い 目次

治一28歳。智恵子22歳、長男・彰と(1951年、洛陽? で)

●紙田智恵子(紙田チエ)

1929年3月31日、鹿児島県加世田市で、大迫禎造の長女として出生。
1950年、中国にて紙田治一と結婚。
1991年11月14日、千葉県鴨川市・亀田病院にて、突然の心不全のため他界。享年62。
30代からの難治性リウマチに生涯苦しまされる。
子供時代に過ごした鹿児島の海に憧れていたため、三浦海岸を一望できる神奈川県三浦市の三浦霊園に墓碑を建立。
その5年後に、治一も他界し、同所に眠る。

まえがき
1 出逢いの日まで
2 ロマンスの花は未だ咲かず
3 (盤石市――第四兵站医院)
4 (或る日本兵の思想改造)
5 (恋の始まり)
6 (恋の行方)
7 (功績の公表)
8 (東豊市への移動)
9 (担白会)
10 (ふたたび前線へ)
11 (その後――年譜)

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