[資料] アピール! 天安門事件: 03(中国人活動家・著)

アピール! 天安門事件: 03

●Date : 1:15pm 10/14/89 From : pcs00372 (直江屋緑字斎)

 以下の文書は某ルートからもたらされたもので、さまざまの種類の情報収集を経て中国人活動家が入手したものである。タイピング時には若干手を入れたが、原文に忠実なのはいうまでもない。転載等は許可を得ているので、ご自由に。中国で自由な活動ができる日に著者の名前は明らかにされるだろう。
 直江屋緑字斎

中南海上層部争いの真相――戒厳にいたるまでの激闘

 1 学生・兵士・市民の最初の六日間
 五月二十三日の夜から二十四日まで、北京の呼家楼、東直門、徳勝門、西直門、八角村、六里橋で大衆に包囲され、立ち往生していた戒厳部隊はそれぞれ撤退し、指定されたところへと集結していった。百万の市民たちは彼らを拍手で歓送し、テレビ局とラジオ放送局もすかさずにそれを報道した。しかし、それとほぼ同時に、軍に徴用された複数のボーイング民用航空機は、内部の座席をはずされて、次から次へと広州軍区の三個師団の兵士を北京へ運んできた。目撃者の話によると、北京城内に集結してきた兵隊は全国の七つの軍区から来た十数個野戦軍にのぼったという。
 天安門広場での座り込みをつづけてきた学生は数万人にものぼったが、二十四日の午前、これを見守る十数万市民の支持のもとで、「天安門広場を守る」宣誓大会を断行した。それと同時に戒厳部隊指揮部は新聞などで、戒厳部隊が学生に対処するためのものではなくて、正常な秩序を維持するためのものであるとの声明を再び発表した。
 二十日の「党、政府、軍隊幹部会議」の席上で、学生運動が動乱であると再び決めつけた李鵬総理の演説のために、知識層と百万市民の連続五日間の学生支持のデモが爆発し、学生と市民はこんこんとした説得と自らの体で機械化野戦軍の足を止めたため、北京城の連続六日間の平和が勝ち取られた。
 二十五日の晩、その李鵬総理がまたテレビに出演し、新しく着任した三カ国の大使に「中国改革の旗手はほかのだれでもなく鄧小平である」と言い(翌日朝六時三十分のニュースアワーではその通り放送されたが、八時の二回目のニュースアワーでは「旗手」が「総設計師」と改められた)、そして、「デモ、座り込み、ストライキに参加した者は事実の真相がわからないのだ。いったん、あの人たちが真実をわかれば、党との認識上の隔たりが縮まるにちがいないことを、私は信じてやまない」とも言った。