見夢録: 2016年08月01日-31日

■2016年08月14日 18:25
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』

一見、理由をわからずに女に捨てられた男が、その理由が自分にあるのではないかとそれを問うような旅をしている感じがする。しかし、一貫して、理由は女の方にあるという思いは拭えないでいる。それは、アントニオーニ自らが撮影の間も抱いている思いなのではないか。

■2016年08月15日 13:28
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』

つまり、この映画は、そのアントニオーニと主人公の両者の思いを追いかけるというものではないのだ。ここでは、その思いを切り捨てて、切り捨てられた男の旅をただ孤独のうら寂しい迷いとして見るべきではないのか。

2016年08月15日 pm 23:20
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』

アントニオーニの映画のわかりづらさとは、どうもそのへんにあるような気がする。
原因と結果ではなく、原因から結果へと論理的にストーリーが展開するのではなく、原因と結果を切り捨てて、ストーリーが自立して、わけのわからない事実の経過だけが現れるというような。

■2016年08月15日 23:28
【かけら】
Think 16, 2012.2, acrylic and media mix on paper, 26.7 x 36.5cm
Think 16,
2012.2, acrylic and media mix on paper, 26.7 x 36.5cm
⇒Works

■2016年08月16日 08:35
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』

男と女はさすらうごとくに漂い、出会ってはまた別れてゆく。どちらが始まりでもなく、どちらが終わるのでもなく。貧しく、つつましく、昔から人々はこのような流れの中を生きているのだ。

2016年08月16日 14:39
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』

厳しいイタリアの北の大地では、いつのまにか都市化が進もうとしている。
それに合わせるように、男と女はこのようにして出会ったり別れたりをことさらの理由もなく繰り返し、波のように時代を流れてゆく。
それぞれが深い孤独を抱え、それぞれが幸福な家庭の夢を見つづけ、それぞれが傷ついていく。

■2016年08月18日 00:04
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』

イタリア人の男女はローマ時代の遠い昔から情熱と情欲とを抱えて生きている。
そのような背景の中で、男と女は互いにさすらっているのだろう。
ただ、それだけなのかもしれない。
それが、それぞれに深い孤独を抱え込ませても、ただそのようにして生きていくということがある。