2016年08月18日 01:36
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』
ラストシーンの塔からの落下は、孤独を抱え、最後の夢を裏切られた男が、ふらふらと飢えのせいでもあるかのような、あるいは塔の下に見た女が夢の境界に幻のごとくに現れたのに対して、眩暈を覚えるようなしぐさで、ゆらゆらと揺らめいて、塔の下に落下していく。
自殺ではないが、孤独と絶望に囚われていたのは間違いないだろう。フェリーニの『道』のラストシーンと重ね合わせられるのかもしれない。
2016年08月18日 10:56
【かけら】
Super-string D-brane α, 2008.3, oil, canvas, F100(130.3 × 162.0cm)
⇒Works
2016年08月18日 20:44
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』
イルマが「愛している」といいながら、なぜ離れていったのか。それまでの同棲の経緯から、単に男と女の関係は流れていくという認識があり、つかの間の幸せは続かないという貧しさがこの時代、この階層にあるのだろう。つねに、次の道を用意していて、おそらくイルマは次の男との子を身ごもっていたのだろう。それゆえ、アルドと結婚できないと思いきわめていたに違いない。
■2016年08月19日 13:32
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』
アルドにとってそのことが謎だったとも、作者もそれについては特に言及していない。ラスト近くでイルマが赤ん坊の世話をするシーンがあるが、これは謎解きをさせようという魂胆ではなく、たんにアルドに男としての決着を与えるためのものであり、ことさら絶望に追い込むというものでもない気がする。
2016年08月19日 22:35
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』
アルドは工場の塔から、この街全体を見渡し、幸せの幻だった7年間、また時代と街が変貌する行く末を見通すことによって、新しい人生に向かおうとしていたような気がする。つまり、男としての決着とは、拘泥していた過去の幻想をあきらめるという決着であり、『道』と異なるのは絶望をあきらめるという人生の坦々とした姿勢なのかもしれない。
■2016年08月20日 09:48
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『さすらい』
だが、人生はまた坦々としてそのような男と女を見事に裏切るのである。それが、孤独な人生とでもいうかのように。
2016年08月20日 09:58
【かけら】
acryl_2016_02_03, Akira Kamita, 2016.02., paper, acrylic, F6
⇒Works
■2016年08月20日 16:29
【かけら】
(Antonioniについての覚書)
――『夜』
気難しい女と捨てられる浮気男の、アントニオーニお得意の映画。
しかし、ここではそのストーリーにそれほど謎めいたことはなく、たしかにブルジョアのパーティの俗悪ぶりにはいらいらさせられるし、ジャンヌ・モローの気難しさにもいらいらさせられる。このいらいらは、アントニオーニの映画の特質、監督自身の内部に抱える不愉快な感情が時代への批評と重なっているのかもしれない。