ちょっと言いたい放題かなあ 振り付けとダンスについて

海外では意外と、振付家とダンサーが分業していると以前聞いて

僕も振り付けの方を選ぶことなった経緯があります。

交じり合うグレーゾーンはあるにしても

分業はあっていいと思っています。

振り付けは作品の骨格をつくればいいのかと思う。

芝居の脚本のようなところまで。

同じ振り付けをとてもうまく、素敵に踊る人と、そうでない人がいる。

どうしてか?

それは、体の知識の違いなんだと思います。

素敵に踊る人は、どうすれば素敵に見えるかを知っていて、それが
できるだけの練習をして、身につけているから。
それだけなんだと思います。

でそこのノウハウは、振付家がもつのか、ダンサーが持つのかといえば
本来は、ダンサーの分担かなと思うのです。

とはいえ、そのノウハウ自体が、作品の微差を作り
微差が仕上げになるので、大きく違いを生むことになるかと。

振り付けは脚本のようであってもいいと思います。
それをどういう演技で仕上げていくかは、役者であるダンサーの力量。

僕が全然踊れなかったジャンルで、それでも作品を作り、
それをそのジャンルで踊れる人が踊ってくれたら、とても素晴らしい作品に
なったことがあります。
彼らは作品を作ることは不得手であり、僕は得意だったし。
彼らはそのジャンルを作ることは踊ることは得意で、僕は不得手だった。
そういうことが成立してもいいのになと思います。

日本ではダンサーと振付家が同じになりすぎているかもなあと。
そうであってもいいが、ほとんどそうだで、違うケースが少ないなと。

あるジャンルでとても踊れるダンサーが、別のジャンルに行くと
メタメタに踊れなかったりする。

それは、そのジャンルのための体の知識がないから。

ダンサーが獲得すべきは、体の知識なんだと思う。

僕も、ダンスのレッスンを受けると、結局はいつもそう思う。
その知識になるレッスンに価値を置くし、コストパフォーマンスも感じる。

僕は、ダンサーとは思っていないので、
レッスンを受けると、実はなんのためにレッスンを受けているのかなあと
いつも思っていました。

個人的な趣味なんだと思います。
そうやって動けば、いいんだ。なるほどなあというものを拾いたくて。

でも、レッスンみたいなこともしている。
なにをしているかといえば、ノウハウを伝えることをメインにしています。

レッスンを受ければ、うまくなると勘違いしている人が多いような気がします。

僕はこれまで踊ってきて、それは違うなあと思います。

受けた回数や時間ではなく、ノウハウを取得したかどうかだけなんだと思います。

つまり、漢字の書き方を覚えたかどうがだけ。

漢字のレッスンに何回でるかではなく。

もちろん覚えるには、時間が必要。

だから、最近ダンスをうまくなるには、「時間が必要だあー」とか
思っているわけ。

だって、漢字が書けるようにならないといけないということだから。

どれだけ、レッスンを内部消化したかが、大事。

作品を今後いろいろ作っていくためにも、いろいろなジャンルを横断的に
体験していますが、一度、自分の体の中の知識に収めて、
いつか振付の中にすべてアウトプットしようと思っています。

うまくなるために、振り付けを覚える記憶のための時間を使うのは
僕は無駄だと思っています。

うまくなるためには、振付はうまくなるための振り付けを短く
エクササイズとしてやるのには価値があると思います。

うまくなるという視点では、振り付けに価値があるのではなく、
その振り付けをうまく踊るためのノウハウにこそ価値があると思います。
だから、そういう視点でレッスンを取捨選択しているし、
僕もレッスンではそういう視点でしています。

僕がダンスを学ぶ理由は、きっと新しい発見がまさまざと
たくさんいつもあるからなんだと思います。

それがとても楽しい。

楽しかったことが多々あれど、けっこう慣れて飽きてしまうことも多い。

たとえば、飲み屋街に楽しく飲みにいろいろ行っていたことなど。
うん、もうそれは飽きた。代わり映えしなくなったから。
そういうこと。

でも、ダンスは学ぶことも多く、価値観がひっくり返されることもおおい。
たとえば、拇指球重心が正しいと思っていたら、カカトだよと言われたり、
土踏まずじゃないという話にもなり、それって、土台の根幹が変わるし。

ダンスをしている友人や知人は多いけど、
振付家をメインでしている友人や知人は少ないので
ここで、ちょっと語らしてもらいました。

あと、ダンサーには踊れる醍醐味がある作品が必要なんでしょうね。
そういう作品を提供したいなあと思います。

体をもてあましているダンサーも多すぎるかと。
踊りへの要求度の高い作品もきっと必要なんだと思います。

ダンサーが長い時間をかけて培った力を、存分に見れるような作品を見たいし
できれば作りたい。