見夢録: 2016年07月01日-31日

日録■2016年07月01日-31日

■2016年07月01日 09:53
【かけら】
(Godardについての覚書)
――『勝手にしやがれ』

常套的な布石が豊富である。つまり、この映画ではストーリー性は効果としてだけ位置づけている。
台詞、しぐさの象徴性、繰り返し、駄洒落などによって非連続性を意識させ、観客の視点をひきつける。そのことで逆にわかりやすい印象だけがあらわれ、新しい時代のフランスに受け容れられていく。

■2016年07月02日 12:13
【かけら】
(Godardについての覚書)
――『勝手にしやがれ』

アメリカへの憧憬と距離、新しい知性と時代についての関心。
道路では盗んだ高級車がひっきりなしに走っている。
アメリカ映画のポスター、テレビのインタビュー現場、電光表示で次々に流されるミシェルの追跡ニュース、ひっきりなしに手にされる新聞、時代は情報で溢れていく。

2016年07月02日 05:50
【かけら】
(Godardについての覚書) ――『勝手にしやがれ』
モノクロのハンディカメラでとらえた夜のパリはいいなあ。

2016年07月02日 15:29
【かけら】
(Godardについての覚書)
――『勝手にしやがれ』

しかし、本質的には、事件やストーリーを追っているのではない。ジャン=ポールとジーン・セバーグの会話、ことば。とくにパトリシアのアパートの狭い部屋での近代の知性と無教養さとの衝突と抵抗。
ゴダールの哲学的な言明が、両者のそれぞれの立場から溢れるようになされていく。これが、ゴダールのもっとも「らしい」スタイルだ。
さまざまの引用、文学、アート、建築。あらゆる引用という断片、映画のカットも断片の重なりであるというフィルム編集、場面の交錯。
ここに、立ち上がる新しいフランス文化、思想の息吹きが感じられる。イタリアのヌーベルバーグとは異なった、知のフランスへの突入を強く印象づけて。