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Note

小周天やら大周天と、ブレイクダンス、ローリング

by on 7月.29, 2018, under Note, 日記

最近、20代の頃にやった気功やらいろいろ振り返っていて

「小周天」「大周天」って、なんだったんだろうかとふと、寝る前に考えました。

「振動」「バイブレーション」「波長」というものを上げたり、整えたりとはなんだろうろうか

音楽でいうところのHz

たんに上げていくということなんだろうか。

「人には波長がある」「波長が合う」というけれど

ここでいう波長って、Hzのことを言っているはずだよなあ。

音色っていうのは、その基本波長に取り巻く、様々な子波長の組み合わせ。

ということは、やはりその基本波長が、もっとも大事な波長。

人間が波長を出しているならば、それはそれは細胞や臓器、血流などの循環性のあるもの。

↓ (寝る前の思考をそのまま思い出せないけど)

細胞が、臓器が生き生きとしていることが、もっともよい波長になると考えられそうだけど

赤ん坊は、それを意識できない。

小周天や大周天は、「気を運ぶ」というのは嘘で、「気を運ぶ」というイメージをネタに

細部の意識化、神経とその肉体の部分をつなげる訓練なのではないか思った。

神経をつなげることで、より活性化できる。

つまり、部分意識化のエクササイズなのではないだろうかと。

「大周天」については、後から。

「小周天」のルートは、チャクラがあり、チャクラが子ヴァイブレーションの元となっているのではと。

各チャクラのバイブレーションが重なり合い、融合して「オーラ」というような波長になっていく。

これが、個人の「波長」の作り方ではないだろうかと。

だから、「波長を上げる、整える」とは、チャクラパーツを含む、肉体の各パーツ(最終的には細胞くらいまで)を

生き生きとさせ、息づかせることなのではないだろうか。だから「呼吸」が大切になる。

部分意識化の訓練ということなら、ブレイクダンスのイメージのボールや流れが

体中を動いていく「ロール」がある。

「小周天」よりもダイナミック。

ルートは自分で決められる。だから、センタリング以外の部分、チャクラ以外のパーツも活性化できる。

各部分を味合うということに関しては、ゆっくりさが必要なので小周天のようなゆっくりさが必要だが、

ダイナミックさでは、ブレイクダンスのロールの方が、先進的な方法ではないかと思う。

大周天は、体の外にまで意識や気を運ぶイメージを伴う。

ブレイクダンスのロールもまた、トリック的にそういうことを行うことはよくある。

「認識するもの」と「認識されるもの」に分けた場合は、体の内と外の違いは意味がなくなる。

「小周天」から「大周天」へのステップは、そういうことを言っているのではないかと思う。

同様の理屈で、過去も未来も現在も、多元宇宙みたいなもの、夢も、「認識されるもの」は同じでないかと。

「自分」というものさえ、認識しなければ、「自分」という枠を、ふっと忘れられる。

体は「空だ」といもいう。枠の中は、空で。その枠もまた幻想的かもしれない。

体の中に風が吹く。

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暗黙の条件

by on 6月.05, 2018, under Note

課題があり、それの必須条件というものがある。

ダンスの振付を踊ったり、ワークショップなどでも

そういうものがあるのが、多い。

でも、明示的な条件・課題以外に

暗黙の条件というのがある。

ダンスの場合は、「ダンスなんだ」ということ。

その中に、これは考え方のいろいろがあるかもしれないが

ダンスなら、○○はしないとね

みたいな暗黙の条件があると思うのです。

ダンスに限らず、文章で語られることには、常に暗黙の背景、条件がある。

ダンスに限って言えば、「ダンスを踊っている」ということがそうだったりする。

「ダンスってこういうものでしょう!」という自分の見方・考え方が

必要だったりする。(それは体験・経験などにより変化してもいいと思うし)

(身体的な癖、パターンという話ではなく)

 

課題に対しては、よい結果を出せても、総合的にうまくいかないのは

暗黙の条件の存在を忘れてしまうからかと思う。

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目的とコツ

by on 6月.05, 2018, under Note

よくダンスのレッスンなんかで

「○○を大切にしよう」などということを習う。いわゆるコツということ。

かなり本質的で汎用的なコツもあれば、そうでないのもある。

ここでは「コツA」としよう。

コツAをその場でそれを覚えたり、マスターしたり、知識に入れることは

あるけど、いろいろ踊っていると、コツAがとても必要だったり、必要でなかったり

邪魔だったりすることもある。

いろいろやっていく中で、コツAがまさしく大事な場面に出会うことがある。

その時に初めて、コツAが腑に落ちるし、

ああコツAをもっとやれるようにしようと思ったりする。

逆にいうと、そういう場面に出くわして、コツAに対しての意識改革が行われないと

コツAをぐっと掴むことはできないのかもしれない。

コツと目的もしくは状況がセットにならないと、コツは宝の持ち腐れになっているのだろう。

タンスの肥やし?

コツは求めれば、求められるかもしれない。

でも、状況は、求めていかないと、いけないとかもしれない。

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ダンス、すげーと思うところ

by on 5月.02, 2018, under Note

人間て、すげーと思わせてくれるところがある。ダンスには。

いいことをしたとか、
人類に役に立つことをしたとか
記録を作ったとか
発明をしたとか
そんなことではなく

「人間ってすげー」とダンスを見ていて
思う時がある。

運動神経、身体能力、抜群のすごい動きを見ても、そうは思わない。

猿が星空を見ながら、泣いている

そういう心がざわめくようなものを、切り取るのが
人間とは、なんと凄いものだと思う。
他の動物にはないだろう。

一つの動きやポーズに、なんどもダメ出しをして、
動きやラインや間やリズムを求めていく。
そんな動物はいないだろう。

「美しさ」という価値観で、物事を見るということが、
人間って、すげーと思う。

美しさも、いろいろある。
静的な美しさもあれば、荒ぶる美しさもある。
醜さの中の美しさもある。
方向性はたくさんある。

美しさの方向性に共感して、理解したときに
美しさを共有できる喜びがある。
おそらく、マニアックであればあるほど、喜びは大きいのではないだろうか。

ダンスは、「星空を見て泣いている猿は美しい」という提示をしたのではないだろうかと思う。

手本は、いわゆる「乗り換え案内」みたいなもので、
実際に辿る自分のリアリティは、別だし、逸脱こそ、大事ではないだろうか。
「乗り換え案内」をたどっても、旅をしたとは言えないみたいに。
手本は、ライバルである。手本にひれ伏すか、手本に対峙するか。

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狭い意識

by on 3月.25, 2018, under Note, 日記

サルサクラブで踊るといろんなことを意識しなければならない。

音楽のリズムはもちろん、

自分の動きももちろん

さらに

相手の動き

周りの人達の動き

相手とのコミュニケーション

音楽の世界

次のリード

などなど。

いろいろ意識しなければ、ならないことがとても学びになる。

なにかに集中すればするほど、うまくいかない。

リズムは肉体で感じるものではない。

感覚で感じるものだ。

世界は、一感覚で感じるものではない。

広くまるごと感じるものだ。捉えるものだ。

無理に一生懸命踊ったら、もう踊りではないかもしれない。

振付にこだわったり、間違えないことにこだわった瞬間に

もう踊りではないかもしれない。

足元を見たら、もうそれは踊りではないかもしれない。

混みいってくると、もう右足なのか、左足なのかは関係なくなってくる。

正中線の下にある、なにかただステップでしかない。

相手や空間を見て、足元でなにが行われていようと、たいしたことではない。

僕らは、生まれて出てくる卵みたいな世界を踊っている。

「その場」でなにか生み出している。

大事なことは、「文句をいわない」ことだ。瞬間瞬間。

人生という踊りの中でも。

踊りという人生の中でも。

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